最高裁判所第二小法廷 昭和44年(オ)594号 判決 1974年7月19日
上告人
早川郁之助
上告人
早川絹子
右両名訴訟代理人
小林勇
被上告人
日本興業株式会社
右代表者
星野五三郎
右訴訟代理人
下山四郎
主文
原判決中上告人らの敗訴部分を破棄する。
右部分につき本件を東京高等裁判所に差し戻す。
理由
上告代理人小林勇の上告理由第一点について。
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。
同第二点について。
原判決は、亡早川明美が本件事故に因り死亡しなかつたとすれば、同人は高等学校を卒業して就職し、二五歳に達したときに結婚して離職するものと推定したうえ、同人の死亡に因る財産的損害の額を認定するにあたり、結婚後の損害額を全く算定していない。したがつて、原審は、結婚して家事に専念する女子が死亡した場合には、財産的損害を生じないものと解したことは、所論のとおりである。
おもうに、結婚して家事に専念する妻は、その従事する家事労働によつて現実に金銭収入を得ることはないが、家事労働に属する多くの労働は、労働社会において金銭的に評価されうるものであり、これを他人に依頼すれば当然相当の対価を支払わなければならないのであるから、妻は、自ら家事労働に従事することにより、財産上の利益を挙げているのである。一般に、妻がその家事労働につき現実に対価の支払を受けないのは、妻の家事労働が夫婦の相互扶助義務の履行の一環としてなされ、また、家庭内においては家族の労働に対して対価の授受が行われないという特殊な事情によるものというべきであるから、対価が支払われないことを理由として、妻の家事労働が財産上の利益を生じないということはできない。のみならず、法律上も、妻の家計支出の節減等によつて蓄積された財産は、離婚の際の財産分与又は夫の死亡の際の相続によつて、妻に還元されるのである。
かように、妻の家事労働は財産上の利益を生ずるものというべきであり、これを金銭的に評価することも不可能ということはできない。ただ、具体的事案において金銭的に評価することが困難な場合が少くないことは予想されうるところであるが、かかる場合には、現在の社会情勢等にかんがみ、家事労働に専念する妻は、平均的労働不能年令に達するまで、女子雇傭労働者の平均的賃金に相当する財産上の収益を挙げるものと推定するのが適当である。
してみると、原判決には右の点において民法七〇九条の解釈、適用を誤つた違法があり、その違法は結論に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は理由があるから、原判決中上告人らの敗訴部分は破棄を免れず、更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻す必要がある。
よつて、民訴法四〇七条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(吉田豊 岡原昌男 小川信雄 大塚喜一郎)
<参考・原審判決理由抄>
(東京高裁昭和四二年(ネ)第九一七号、同第一五五三号、損害賠償請求控訴、同附帯控訴事件、同四四年三月二八日第五民事部判決・一部取消・一部変更、原審東京地裁)
【判決理由】次に明美の得べかりし利益について考えるに、<証拠>によると、明美は昭和三三年一一月一一日生であることが認められるので、厚生省発表の生命表によれば、同女は統計上本件事故後なお六〇年余の余命年数を有するものといえるところ、<証拠>によれば、明美は本件事故当時私立京浜学園附属小学校一年在学中であつたこと、被控訴人らには、明美のほか長女清美(昭和二七年四月八日生)、二女洋子(昭和三〇年一月一五日生)の二子女があり、被控訴人早川郁之助は、日本鋼管株式会社鶴見製作所に旋盤工として勤め、月収五万円余を得ているほかアパートを経営し、その収入が一ケ月一〇万円弱あり、被控訴人らとしては、明美を少なくとも高等学校までは進学させたい希望を持つており、被控訴人らの資力及び明美の学力からみてそれが可能であつたことが認められ、厚生大臣官房統計調査部の統計によると、神奈川県下における昭和三七年度の女子の平均初婚年令(挙式時のもの)は、二五年であり、<証拠>によれば、昭和四〇年四月におけるわが国全企業の女子労働者の平均年令は28.1年、平均勤続年数は3.9年であることが認められるから、被控訴人らの前記家庭事情からして、明美は本件事故がなかつたならば、昭和五二年三月高等学校を卒業し、同年四月から前記平均初婚年令二五年に達する昭和五八年一一月まで就職し、結婚と同時に離職するものと認めるのが相当であり、<証拠>によれば、昭和四〇年四月におけるわが国全企業の女子労働者の一ケ月の平均給与は、一八年の者の初任給一万五、一〇〇円、勤続一年の一九年の者金一万六、四〇〇円、勤続二年の二〇年の者金一万七、九〇〇円、勤続三年、四年の二一年ないし二二年の者金一万八、七〇〇円、勤続五年、六年の二三年ないし二四年の者一万九、四〇〇円であり、一方明美の必要経費の支出についてみるに、同女は結婚までは両親と生活を共にし、少なくとも住居費及び光熱費等は負担しないと考えるのが相当であり、<証拠>によれば、昭和三九年度における全国平均一ケ月の消費支出は、4.28人の世帯人員の場合食料費は一万八、一三九円、被服費は金五、六八三円、雑費は一万七、一三八円であることが認められるので、一人当りの右費用は金一万〇、四四三円となり、従つて明美は右の統計を基準にすると高等学校卒業後年令二五年で結婚するまで別表記載の純益を得ることができたものと認むべく、この純益を同女の死亡時に一時に請求する場合、その額はホフマン方式により年五分の中間利息を控除して計算すると別表記載のとおり金三四万〇、七七二円(円位未満四捨五入)となり、これが、明美の本件事故により控訴会社に賠償を求め得る得べかりし利益の喪失であり、被控訴人らは明美の両親としてその半額金一七万〇、三八六円宛の損害賠償請求権を相続により取得したこととなる。(古山宏 川添万夫 右田堯雄)
<参考・第一審判決理由抄>
(東京地裁昭和四一年(ワ)第七五三六号、損害賠償請求事件、同四二年四月一四日民事第二七部判決)
【判決理由】<証拠>によると、被害者は健康で京浜学園付属小学校一年に通学しており、成績も優秀であつたこと、同学園は中学・高校・大学まで続いており通常はそのまま進学することができ、原告らも被害者を少くとも同学園の高等学校を卒業させるつもりであつたこと、被害者の姉二人も同学園を進学していることが認められ、厚生省発表の第一〇回生命表によると七才余の女子の平均余命は六三年余であるから、被害者は本件事故に遭わなければなお同程度生存しえて、同学園の高等学校を昭和五二年三月一八才で卒業し、爾後同年四月から五四才に達する三六年間にわたって職業に就いて収益を挙げえたであろうと推認できる。
ところで<証拠>およびこれに基づく推計によれば、最も一般的産業である製造業を営む事業所に勤務する昭和四〇年当時における女子職員の平均月間きまつて支給する現金給与額は一八才から一九才までが金一五、九〇〇円、二〇才から二四才までが一八、七〇〇円、二五才から二九才までが金二一、六〇〇円、三〇才から三四才までが金二四、三〇〇円で、これらを通じての平均(稼働期間のほぼ前半に当る)は原告主張の月額金一八、八六〇円を下らないことが認められるので、ひかえ目にみても女子の一八才から三六年間の平均月額収入は右同額を下らないものとみることができ、この間その収入を得るために必要な経費は全期間を平均すれば五割以上を出ないというべきである。そこでかりに右収入月額から五割を控除した金九、四三〇円を平均月間純益額(すなわち年間金一一三、一六〇円)として固定させ、これを本件事故の日を基準としてその後一二年を経過したとき(就職年度)以後三六年間にわたつて得るものとして、年毎にホフマン式計算方法により年五分の割合による中間利息を控除して合算し、その基準時における一時払額を求めると金一、六五五、二〇五円(円以下切捨)となることが計算上明らかである。
そして被害者が本件事故に基づく死亡により失つた将来得べかりし純益の一時払額も、右の推計と異るものと認むべき証拠はないから右額と同程度の損害を蒙つたものと認むべきであるが、前記被害者の過失を斟酌するとこのうち被告らが賠償すべき額は金一、五〇〇、〇〇〇円が相当と認められ、被害者は同額の損害賠償請求権を取得したものというべきところ、原告早川郁之助、同早川絹子が被害者の父、母として各二分の一宛の相続分をもつて被害者を相続したことは<証拠>により明らかであるから、原告らは右請求権のうち各金七五〇、〇〇〇円宛を承継したことになる。<後略>
(羽生雅則)
上告人ら代理人小林勇の上告理由
第一点 原判決は判決に影響を及ぼすこと明らかな審理不尽の違法、理由不備採証法則の誤りがある。
一、原判決は明美の得べかりし利益について女子の平均初婚年令は二五年であつて甲第八号証の一によると昭和四〇年四月におけるわが国、全国企業の女子労働者の平均年令は28.1年、平均勤続年数は3.9年であるから明美は昭和五二年三月高等学校を卒業し、同年四月から平均初婚年令二五年に達する昭和五八年一一月に結婚し、同時に離職すると認めるのが相当であるとし、同年十二月以降明美の得べかりし利益はないと判断した。
二、しかし、明美の死亡事故による得べかりし利益を計算するに当り、平均勤続年数は参考にならない。
即ち、甲第八号証の一によれば、男子の場合、わが国、全国企業の男子労働者の平均年令は33.2年、平均勤続年数は7.8年ということになるが、男子の幼児が死亡事故にあつたとき特別の事情がない限り高等学校卒業後、満六五年に達するまでの四七年間位は勤めるものとして得べかりし利益を認めることは学説・判例上異論をみない。
そうすると男子の幼児の死亡事故による得べかりし利益の算定に当り、甲第八号証の一の統計による平均勤続年数7.8年は参考にならない。
このことは女子の幼児が死亡事故にあつたときも同様に考えてよく、甲第八号証の一の女子の平均勤続年数を得べかりし利益の期間を決定する上に参考にすべきものではない。
三、次に原判決は神奈川県下における平均初婚年令は二五才であり、二五年に結婚すると同時に離職するという考えも合理的ではない。かえつて最近は、結婚後も共稼ぎをして働き、将来の生活設計を企画するのが一般的である。現に明美の母親(上告人早川絹子)も近所の印刷会社(朝日オフセット印刷株式会社)に昭和四一年三月七日から現在に至るまで勤めている。結婚後、暫く勤め、子供が生まれて離職をし、子供が通学するようになつてから又勤める主婦は数多くいる。
第一審以来原審を通じて明美が何才で結婚するか、結婚後離職するかどうか、離職後の就職又は主婦となつた場合の家事労働をどうみるかという点は当事者間で明確な争点となつていなかつた。明美の就労期間については原審の判決で突然、明美が二五年で結婚し、結婚後離職し、収入がなくなると判決され、上告人は不意打をうけたような気持である。しかし、原審のような判断をするならば結婚後の明美の家事労働の財産的価値を評価するのかしないのか、再就職の可能性につき判断しないのは審理不尽による判決理由に不備があり、判決に影響を及ぼすことが明らかである。
第二点 原判決は判決に影響及ぼすこと明らかな法令の違背がある。
一、本件明美の得べかりし利益を算定するに当り二五年で結婚した後、離職し、以降主婦は再就職もしないし、得べかりし利益も考えられないとするならば主婦は死亡事故にあつたとき財産的損害が認められないことになるが、これは良識に反するものである。
二、主婦の家事労働については、財産的損害を肯定する見解と否定する見解があり、財産的損害を肯定する見解のうちでもその損害を逸失利益の損害として捕える見解と稼働能力喪失という財産的損害として捕える見解があつて、学説、判例上も帰一をみない難問である。
三、しかし、女子の幼児が交通事故で死亡した場合、結婚即離職することはなく、かつ、再就職も現在、一般の例であるが、かりに原審のように満二五年で結婚し、直ちに離職し、家庭の主婦となり再就職しないとしても主婦の家事労働を財産的評価をしないというのは良識に反するその理由は次の通りである。(以下は昭和四四年三月十三日編集者発行人横浜弁護士会交通事故損害賠償実務の諸問題二七頁以下による。)
(1) 主婦の家事労働による支出の節約という消極的利益は、主婦の労働力に負うべく財産の減少を免れた部分は夫婦の財産として蓄積されている。
(2) 炊事、洗濯、育児や衣類、寝具などの調整修繕といつた技術役務にしろ、或は留守番、客の応待、儀礼、子女の監護教育、財産管理などの家政一般にしてもこれと同種の技術、役務ないし仕事に対し個別的或は一般的(家政婦管理人など)な形で対価ないし報酬が支払われ取引の対象となつている。
(3) 家事労働は、家庭内では概ね、必須的のものであつて、これを他人に代行させれば当然相当の対価を支払わねばならない。
(4) 逸失利益とはいわば人間の財産的側面の評価であり、しかも一般に逸失利益の算定が本来予測に由来する一種の擬制の性質を具有することを否定できないのであるから主婦のみに限つて現実の収入がないからといつて財産的損害を否定するのは相当でなく、何らかの評価手段(家政婦の賃金、女子労働者の平均賃金など)を求めてこれを肯定すべきである。
(5) 元来、人間の生命、身体自体は交換価値を有するものではないからもともと死亡、傷害に基く損害の客観的且つ、確実な算定はなし得ないものである。しかし、死亡、傷害のばあいに損害賠償の範囲の確立の要請のために損害を財産的側面と精神的側面に二分し、前者を逸失利益とし、後者を慰藉料として評価しているものである。
この逸失利益を被害者の現実の稼働能力の喪失により将来取得できた収入でなければならないと解すれば家庭の主婦は、純然たる家事労働のばあい、死亡により何らの財産的損害を受けないということになろう。(しかし、このような考えが我々の常識に合わないことは明らかである。)
逸失利益の概念は、そもそも損害算定の困難な人間の将来の財産的側面を諸々の統計資料や常識を駆使して将来を予測し、蓋然性を含む損害額を現実の賠償額に高めたものである。例えば有業労働者の死亡のばあいの逸失利益の算定は現在の収入額を基準として余命年数の間、その収入を得たであろうとの予測の下に逸失利益を算出するのであるが、余命年数自体一つの予測であつて朝に健康であつた者が夕べには幽明を異にするばあいもあり、有職者も罷免、病気等による退職や転職等により将来の収入額には大きな異同が生ずるのは否めない。
このように逸失利益の概念自体一つの予測にすぎず不確実性を内包している。
従つて逸失利益を考察するに当り、主婦の家事労働に対し現実的に対価が支払われないことだけを理由として得べかりし利益が存在しないと即断することは妥当でないように思われる。
一方主婦の家事労働一般が経済的に無価値であり、財産的に評価できないとすることは相当ではない。即ち、炊事、洗濯、育児や衣類、寝具などの調整修繕といつた技術役務、留守番、客の応待、儀礼、子女の監護教育、財産管理などの家政一般にしても、これと同種の技術役務ないし仕事に対し個別的或は一般的(家政婦、管理人など)な形で対価報酬が支払われ、取引の対象となつていることからみて主婦などの家事労働が財産的に評価できるものであることは明瞭である。
けだし、主婦の家事労働は概ね、家庭では必須のものであつて家政婦の労働内容以上の価値と実質を有するものであり、他人に代行させれば当然相当の対価を支払わなければならず、家事労働により支出を免れた部分は家族共同体自体における財産の減少を防止している作用を有するからである。
しかも主婦の家事労働は無償の社会奉仕者の奉仕労働のように単なる奉仕的恩恵的なものではなく、主婦の属する家族共同自体の財産の減少を防止し、主婦自らがその利益の帰属主体となるという積極的意味を持つている。
他方主婦が家事労働にのみ従事し、独自の収入を有しないというのは一の蓋然性であつてこの蓋然性自体社会情勢の変動により多分に左右される可能性をもつている。
即ち、若年ないし単純労働者不足を主婦の労働力でまかなおうとする企業者、経済界の要請は主婦の労働力を要請し、夫の疾病、経済的不況等から夫の収入に依存し得なくなつた主婦は自ら就業により生計を維持しなければならず、共稼ぎ家庭は年々増加の一途を示している。我国では昭和三九年度の統計によると母親のうち54.6%が家事以外の労働に従事しているといわれる。(昭和三九年度厚生省児童局「全国家庭児童調査結果報告書」判タ二一二・一〇八)
このように婦人が主婦となつたばあいでも将来再び就業する蓋然性は極めて高いのである。従つて事故当時、被害者が幼児(女子)又は主婦であるということのみから財産的損害を否定することは妥当ではない。
消極説のうちには逸失利益の算定に不利な取扱いを受ける女性に対してはその財産的損害賠償に償われない精神的損害を慰藉料によつて不均衡を是正しようとの考え方があるが、現行の実務上は慰藉料算定の基準は明確でなく、裁判官の裁量に委ねられ、一般的に低額に押えられている現実を考えると慰藉料の補完的作用に期待するのは賛成できない。
以上の事由を総合して考え、主婦の家事労働に対し逸失利益による財産的損害を認めるべきであると思う。
四、以上により被害者明美の財産的損害を満二五年迄とすることが相当でないことを明かにした。
尚、死亡事故では強制賠償保険金は三〇〇万円が無条件に支払われることになつているが最近更に保険金額を引上げようという気運にある。
原審の如く明美が満二五年で結婚し、かつ、直ちに離職し、離職後の財産的損害はなく、従つて一生の財産的損害額が三四万〇七二二円しかないという判断は交通事故の被害者となつた女子幼児にとつて極めて不利益な判断である。
第一項乃至第三項に述べる理由から判決に影響を及ぼす法令違背がある、というべきである。
(添付書類省略)